ヘソ曲がりの与太: さまよう刃

2008年07月05日

さまよう刃

 東野圭吾の熱心なファンではない。デビュー作も知らない。せいぜいテレビドラマ化された「名探偵ガリレオ」の文庫化されたものしか読んでいない。だから森博嗣のようにトリックとレトリックの人だと思っていたし、どうもミステリーは「頭の体操」のような謎解き物語の方が好きなので、そうした傾向で読んでいた。

 ただ、松本清張から西村京太郎に至る「社会派」の系譜は、実は日本のミステリーの中に重要な位置を占めていて、あの浅見光彦を主人公にした内田康夫の作品でさえ(と言う言い方は失礼なのかも知れぬが)、この国の矛盾などを題材としている。

 小説「さまよう刃」は、無軌道で無反省な若者(まぁ餓鬼だわな)に陵辱され死に至らしめられた娘の父が、その未成年の犯人に対する復讐の過程を描く、きわめて重い内容の小説だ。これがベストセラーになるという事は、減少しているのに社会性の欠片もない若者に対する、ある一定年齢以上の人間の多くが抱える「何かおかしい」という思いと、犯罪被害者の立場が一向に改善されぬことに対する疑義の消極的な顕れともとれる。

 昨日も17歳の少女が遺体で発見されたというニュースがあったのだが、その少女の背中には実は入れ墨が彫られていたという。入れ墨をタトゥーなどという簡便な言葉で片付けるには、彼女の死は重すぎるだろう。

 自傷行為をする少女の中には、その渇望を埋める代償行為なのか、いわゆる援助交際という名の売春に走る子もいる。その結果、不用意な妊娠、そしてそれを誰にも言えずに出産してしまい、生まれた子供の処置に困って殺してしまう、などという事件も起きている。更に援交風景をビデオで撮影され、ネットで流通された結果自殺した少女も居ると言う。

 原因と結果を結びつけるには、あまりに幼いうちから、性行為に翻弄されてしまう少女達の姿がそこにはあり、そうした少女達の情報が「すべてだ」と思いこむ短絡した若者も存在する。

 この小説で描かれるのは、そうした少年の無軌道さと粗暴さ、被害に遭った少女の姿、強烈な復讐心に駆られる被害少女の父、少女の父に同情しながらも父の復讐から少年を守り少年の被害少女に対する犯行を暴こうとする刑事、無責任におもしろおかしく報じるマスコミなどの複数の貌が描かれ、そのどれもがある種の諦観を持って描かれているように思える。この諦観は、無感覚になるというものではなく、著者の青白く燃える怒りの炎が原資となっているようだ。

 比較的裕福な家庭でありながら、金のために子供を顧みぬ親がいる。他方で、母子家庭で貧苦のために水商売で働き子供を顧みる余裕すら無い親がいる。いずれも子供にとってはネグレクト状態なのであり、いずれも家庭の内実が円満とは言えぬ家族の元で不良少年が生まれるという類型化されたパターンで描かれる。他方、被害少女は早くに母親を亡くし、父と二人で生活しており、復讐鬼となる父親との関係も良かった非の打ち所の無い少女として描かれる。

 ふと、山口県光市の母子殺害事件を思い出す。あの犯行を行った少年も差し戻し審で死刑判決となった。友人に出した手紙の内容を見ると、ほとんど反省もなく、どうせ少年事件だから死刑はあるまい、と高をくくった態度が見て取れる。それが最高裁が高裁に「無期懲役」の判決を破棄し差し戻した最も大きな要因だろう。事実上差し戻し審では「死刑」以外の判決の選択肢はない裁判となった。こうなると、弁護側の上告も棄却される可能性はきわめて高い。死刑の確定という事になるのだろう。

 日本の刑事法の制度は「罪刑法定主義」であり、つまり方によって罪と決められれない行為については、犯罪性が高い行為でも処罰されぬというものだ。更に「教育刑的思想」が背景にある。昔の仇討ちのような「応報刑思想」には原則として基づかない。しかし、先進各国を見ると応報的要因を補完するために、犯罪被害者の側に制度として一定の保証や、死刑執行時の立ち会いなどが認められている事が多い。特に後者は単に「溜飲を下げる」という事ではなく、事件の区切りを被害者側にしっかりと認識させ、被害者、あるいはその遺族が再出発をするために必要と考えられているようだ。

 この小説の主人公である長峰は、犯人の少年の片割れを殺し、更に猟銃でもうひとりを狙う。その復讐を職務として止めようとする刑事の葛藤、レイプ犯である少年達に輪姦され自殺した別の少女の父親がマスコミに利用される状態とマスコミの興味本位でしかない報道姿勢。そうした様々なものにメスを入れながら、悲劇的結末に向かって、そしてどうしようもない結末に向かって、話は収束されてゆく。長峰に対する同情から彼をかくまうペンションの女主人と、厳格ながらその女主人の心を忖度する父親。心が揺れる小説だが、結末は現実を踏まえ「何の解決も見えない」とうい状態になる。犯行を行った二人の少年と車で連んでいた少年は、長峰に犯行少年の情報を密かに流し、それを感じていた取り締まる側の刑事課長は、どうやら長峰に情報が流れている事を知っていて、長峰が敵討ちをすることを黙認しようとしていたという暗示的な部分も出てくる。

 正義という言葉がある。問題は「誰にとっての正義か」である。絶対的な正義などを振りかざすことは危険だろう。この小説では加害者少年は絶対的な悪に見える。逆に復讐を狙う長峰は正義の守護者のようだ。他方で、加害者少年の親達は、その加害者少年の行為を内心知ってはいても、絶対的な悪ではない部分も知っていて、それを強調しようとする。心の問題、制度の問題、それを社会がどう案分して捉え考えるかという問題があわせて提起されている小説だと言える。重いテーマを正面から突きつけられる社会派ミステリーである。

posted by たまどん at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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