この震災が起きた日に、某ISPはインターネットへのダイヤルアップ接続をテスト運用から実地運用に変更し、サービスを正式提供した。丁度縁があって、そのISPへの就職が決まったのが、時を同じくした同日である。だからこそ、私のこの震災への思いは強い。
この2ヶ月後には、神戸に住む著名な作家のお見舞いに、そのISPの幹部に随行したのだが、まるで空爆の跡地であるかのような惨憺たる状況であったのを覚えている。そう言えば、この時期にはまだデジカメなどは世に出回っていなかった。カシオのQV-10が市販されたのは、この後だったと記憶している。その後、そのISPの社長を務めた人物が、まだ大学院の学生だった頃だ。
神戸ではまだJRが完全に復旧しておらず、神戸の西の端である垂水に住む作家の自宅に伺うため、途中代替運行のバスを待って、震災後の大火に見舞われ多くの被害者を出した長田などの前を通過したのであるが、そのバス待ちをしている時にも、周囲は驚愕の光景であり、テレビ報道などが下火になった時期ではあり、復興などもマスコミで語られていた時期ではあるのだが、実態はほとんど手つかずだったのを知ることとなった。
「きまぐれな日々」というブログでは、NHKの番組「NHKスペシャル・命のセーフティーネットは築けるか〜生かされない震災の教訓〜」についての雑感が記されているが、私もほとんど同様の思いを持つ。住宅の耐震補強工事は政府の見通しのようには行っておらず、その最も大きな理由が費用の問題である。低収入の家庭では、例え持ち家でも耐震補強などはできない。高齢の独居老人の住宅などにこうした例が多いらしい。持っている金の多寡で命の危険度が違ってしまうのは、成功者だけが助命の権利、あるいは生きる権利を持つというような、まるで絶対主義王朝での支配階級の思想であり、江戸時代の「百姓は生かさず殺さず」以下の思想ではないか。しかも、そうした選民思想的な考え方の背後には、そうした特権意識を維持するために法や制度を曲げても構わないという不遜さまで透けて見えるのである。
震災シミュレーションがあるのだが、これに経済的な困窮者の死亡率なんぞも加えてみるとどうなるのか。ネットカフェ難民なんぞはどうなるのか。ネットカフェは見るとわかるが構造上、出入り口は狭いし、人間の居る範囲も狭い。可燃物はてんこ盛りである。通路にある自販機などに転倒防止装置が付いている様子は皆無だし、非常口ですら判然としない。ネットカフェ難民は、あの新宿の雑居ビル火災で亡くなった人のような亡くなり方をするわけだろう。年金暮らしの独居老人は、地震発生と同時に耐震補強をしていない自宅で圧死するような羽目になる。
生き延びたとしても、地域と完全に分断されて生活していたネットカフェ難民と称する人々には、避難場所すら存在しない事になるのではないか。例えば住民票が神奈川県や埼玉県の人間で、外神田などのネットカフェで寝泊まりをしていた人達は、今の行政の体制だと「都民じゃないので食料は差し上げられません」などとなりそうなのである。地域の医者にかかっていない妊婦が、救急搬送でたらい回しになる状態と限りなく近い。
阪神淡路大震災時には、報道されてはいないようだが、強姦やら強盗事件なども多発したようである。あの時代はバブルが崩壊していた時代ではあるが、今も同様に殺伐とした世の中となっていて、格差の拡大とともにその殺伐とした環境は悪化している。食い物を巡っての殺人などが、こうした非常時には想定されるわけだ。生き延びられるかなぁ。









今でも覚えているのは、当日、アパートの別な部屋でボヤがあったこと。いままで顔ひとつ見せたことのない大家がドアをガンガン叩いて「何があったんですか?」病気で寝てるから勘弁してくれと言っても、一方的にまくし立てて去っていったバカ大家。退去時に敷金では引ききれないのであと数万円、と言われたときに、そのことを思い出してまくし立てたら、逆に敷金から返金が出た。根拠のない支払いだったことがわかったとともに、あれが京成沿線でなく阪神沿線なら死んでたかもなあ、と思い返すのでした。
それにしても、あの大家、憎し。
震災覚めやらぬ2ヵ月後、関東で地下鉄サリン事件が起きて、震災のニュースに取って代わった。
地震も含めた災害弱者は、そのまま社会的弱者であることが多く、道路整備よりはそうした人々のための避難先などを整備しておく方が先だろう、などと思うのです。
旭川の一箇所では本日は氷点下34度を下回る状態で、もし仮に震災なんぞが冬に起き、避難所が学校の体育館しか無いとなると、下手をすると凍死する人も出る可能性があるわけです。
> fujizakuraさん
東京に出るまでは、大きな揺れを感じる地震には、中学生の時に十勝沖地震に遭ったきりで(函館大学の三階建ての建物が二階建てになってしまった地震ですが)、それが東京に出たら、何年かに一度は震度四程度は必ず起きるという状態。
某社の現副社長と新宿で飲んだ帰り、終電が無かったために新宿西口でタクシー待ちをしていたら、震度四の地震にぶつかったことがあります。タクシー待ちの列の中には外国人も居て、パニックになっていたのを、地震なれしている日本人が笑っていたのは、阪神淡路大震災の前のことでしたが・・・。
震災当時、私は首都圏に住んでいましたが、見慣れた阪神高速道路が倒壊している現場をテレビで見て、とんでもない災害が起きたことを知りました。
震災の起きる十数年前まで私が住んでいた家のあったあたりは、更地になっていましたし、神戸市では翌年になってもまだ傾いたビルが散見されました。
これだけ地震が多発する国だから、できる限り被害を最小限に食い止める努力が必要なのに、所得格差によって耐震補強工事を断念せざるを得ない住民が多い現状は、そのニーズに逆行しているように思われ、非常に残念です。この状況になんとか一石を投じられないかと思い、記事を書いた次第です。
はじめまして。お越しいただきありがとうございます。あの震災で亡くなられた方とそのご家族には衷心よりお見舞いを申し上げます。
天災は避け得ぬものですが、避け得ぬという前提で、命をどう守るかということを考えるのが、人の知恵の出しどころだと思うのですが、どうも行政の対応は費用をかけることの不公平ということだけを重視しているようで、結果として貧困層の命が失われることについての詳細な思考などは存在しないようです。
あえて言いますが、現在のグローバルスタンダードという「叡智なき自由主義経済」によって失われているのが、社会保障だというのが問題なのです。
社会保障というのは、自由主義経済から生まれた社会的矛盾を補完し、社会を安定させるための仕組みだったわけですが、それが不用意な規制緩和によって瓦解しているのが日本の実情でしょう。
本来ならば、真っ先に「民間活力導入」をしなければならないのが、実は現在の独立行政法人が行っている事業です。独立行政法人をすべて廃し、そこに民間企業を入れた方が真っ当でしょう。
小泉政権が行った改革の中で少なくとも評価ができるのは道路公団だけで、独立採算制だった郵政などは、国庫の税財源からの人件削減にはほとんど寄与していません。小泉さん、郵政大臣だったころに郵政官僚から苛められたようで、江戸の敵を長崎で、ということだったんでしょうか。やれやれ。